岩に張り付く上部の修道院

ストログ修道院は、その中に聖ヴァシリエ・オストロスキの遺体が収められている、モンテネグロで最も良く知られた聖域であり、世界中の国や地域から多くの人々が訪れます。17世紀に建てられたその独特の聖堂は、ニクシッチの町から非常に近く、ビエロパブリッチ谷の見える岩山の高いところにそびえています。ギリシア正教とは異なる他の宗教の信者たちも、敬意を払ってその聖ヴァシリエの遺物にやってきます。聖ヴァシリエは、つまりザフムリエ・ヘルツェゴヴィナの大主教であるヴァシリエ・ヨヴァノヴィッチは、1656年にこの修道院を建て、1671年に死ぬまでそこで暮らしました。修道院は、下部と上部から成り立っており、火事−その洞窟教会は助かったのですが−の後、1923年から1926年に再建されました。

ビエロパブリッチ谷の上高くにそびえるオストログの丘の巨大な岩に張り付いて、その修道院は目を見張るほどの非常に印象的な光景です。ボゲティッチは、ポドゴリッツァからニクシッチに向かう道路上にある村で、その修道院へ向かう出発地となっており、そこから下部の修道院まで8キロメートル少しの長い道が続いています。その急な上り坂は、鋭いカーブを伴って、その一部が洞窟に埋め込まれている上部の修道院まで続いています。上部の修道院は、2つの独特な洞窟教会−聖母被昇天教会とホリークロス教会で成り立っています。聖母被昇天教会には、聖ヴァシリエの遺体が保存され、両方の教会はフレスコ画−すすと不十分な光で完全に見ることができませんが−できれいに飾られています。77段の階段が、上部の修道院の入り口から教会まで続いています。

下部の修道院

下部の修道院は1920年に、海抜800メートルの場所に建てられました。そして入り口にあるホリートリニティ教会は1824年に建てられました。聖母被昇天教会は17世紀の終わりに、フレスコ画がその洞窟の自然の形に合致するようにラデュル巨匠によってペイントされました。その修道院は、すべての信者の会合場所となっており、みんなが聖ヴァシリエの遺体には奇跡的な治療の力があると信じており、巡礼者によると、お祈りする人の人生の困難を和らげたり、癒したりする助けとなったということです。毎年数多くの巡礼者がオストログ修道院を訪れ、人々の集まる伝統的な日は5月12日−聖ヴァシリエの日で、その日には何千もの信者が敬意を払います。

オストログ修道院について多くの奇跡があります。ヴァシリェエが亡くなったその場所には、自然の条件からは考えられないのですが、岩からブドウの木が生えており、現在では果実までが生っているのです。遺体の見学が終わったら、階段でホリークロス教会まで行きましょう。そこには殉教者スタンコの腕が安置されています。彼は羊飼いでした。伝説によると、彼は自分がキリスト教徒であることを公言し、トルコ人によって腕を切り落とされてしまったという事です。遺体の足元で寝ることで回復したといわれるある男が残していったという伝説のある手かせが、その腕の左側に安置されています。また1つの爆弾も保存されています。その爆弾は1942年の2月にドイツの大砲によって撃たれ、上部の修道院の石の壁を打ってホリークロス教会の扉を破壊しましたが、爆発しませんでした。

下部の修道院から上部の修道院までは、車で行くこともできますが、ぜひ徒歩で行く事をお勧めします。急な坂で少し大変ですが、自分の足で登ってみることが大切だと感じるところです。また、オストログ修道院への訪問は、単に神聖な場所への巡礼や癒しの聖人の遺体だけではなく、ビエロパブリッチの丘の壮大な眺めが見られる印象的な眺望をも楽しむことができます。 近くに住む村人たちは、良い気候を生かして果樹を育てたり、素晴らしい品質の蜂蜜を生産したりしています。

アクセス
ポドゴリッツァからニクシッチ行きのバスで1時間ほど走ると、「ボゲティッチ村」があります。
そこから徒歩で約2時間、タクシーか乗り合いバスで20分ほど。
料金 ポドゴリッツァからボゲティッチ村まで1.5ユーロ


修道院はこんな険しい岩の中に
建てられています
ボゲティッチ村の有名な伝統料理のレストラン「Koliba」
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